留学目的と留学する国の決定まで~怠け者のための留学成功術~

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ナマケモノのための留学成功術(第二章②)

とにかく、語学力をつけたい、自分を高めたいとの一心で留学することを決意した。まさに私の人生の一大転機であったが。。

 

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留学すれば英囲がしゃべれるようになるか(第二章①)

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留学の目的は何か。

いざ留学といっても、いろいろな種類がある。あれこれ考えた挙げく、大学留学か大学院留学のどちらかにすることに決めた。だがどちらにするかなかなか決められない。そこで、私は、一旦頭の中を整理して、留学の目的を明確にした。私の留学目的は語学の習得である。エンジニアリングの知識は既にある。ならば滞在年数の短い大学院に留学したほうがよいだろう。

どこの国に留学するか。

次に考えたことはどこの国に留学するかである。まず、アメリカ、イギリス、オーストラリアが浮かんだ。その他の国は考えなかった。最終的にはイギリスを選んだ。アメリカは学生の頃一度旅行していてなんとなく知っていたということと、医療費がとても高くて、もし怪我や病気になると困ると考えたので候補から外した。その点、イギリスは当初は留学生にも無料で医療を行うと聞いていたので、イギリスに留学することに決めた。オーストラリアも考えたが、当時はこの国は留学についてあまりオープンでなく、色々な書類や手続きを必要としたので諦めた。

 

イギリスの大学院に留学すると決めたものの

3つの悲惨な状況へ。

イギリスの大学院に留学すると言えば、聞こえはいいが、実情は「金がない」「能力がない」「会社を退職しなければならない」というないない尽くしの悲惨な状況であった。非常にハイリスクだったが、自分で決心したことを信じ藁をも掴む思いで行動したことが、よい結果に繋がったようである。

 

「金がない」

当時抱えた悩みの一つは「金がない」という事である。会社に務めて約四年、少しの貯えはあった。その貯えは結婚式の費用に使われるはずだった。その頃私には既に婚約者がいた。今は家人となっている婚約者をはじめ周りの人に迷惑をかけて、結婚式(当時でも三百万円くらいかかると思われた)をせず、貯えを留学費用にまわすことにした。おかげで家人には今でも結婚式をあげなかったことをぼやかれるが、実際には約五万円の費用でマンチェスター市の式場でささやかな式をあげているのだ。

 

「能力がない」

これについては今更どうしようもない。一般にイギリスでは大学院入学に関し、レフリーと呼ばれる推薦人二人を提示しなければならない。通常は大学の先生である。私の大学時代の恩師はスタンフォード大学で博士号を取り、その後ペンシルバニア大学やその他各地で大学教授として働かれていたので英語力は抜群の方であるが、英語の勉強に、レファレンスレターを自分で書くようにと言われた。大喜びで私がいかに優秀でかつ語学力があるという内容の英文レターを自分で作り、サインをしていただいた。別の教授にも同じような内容の手紙を作り、それも無事にサインを頂き、マンチェスター大学に送った。その結果、なんとか入学が認められたのである。

 

「退職をしなければならない」

これが一番問題であった。嫌いな会社ではなかった。嫌いな仕事ではなかった。ただ、ステップアップをしたかっただけだった。気持ちとは裏腹に、留学をするためにはこの会社をやめるしかない。このまま仕事を続けても、それはそれで別に良かった。自分のスキルレベルを上げたいだけなのだ。だが、まず会社を辞めなければ留学してステップアップすることは出来ない。留学に失敗して戻ってきたら職にあぶれるだけ。逆にスキルアップしたからといって、今より待遇のよい会社、やりたい仕事につけるとも限らない。さんざん迷ったが、私はついに決断した。そして、先に書いたやかましいが憎めない上司に退職を告げた。「僕は一応は誰にでも退職することを止めるが、君だけは別だ。」と彼は言った。別に慰留されなかった。良かったのか悪かったのか分からないがこの憎めない上司とは家が近いせいか今でも一緒に飲み歩いている。

 

留学を成功させなければならない覚悟と共に。

こうして留学を開始する前のすべての問題は解決した。だがこれからの問題が残っていた。卒業しなければならない。しかも「職なし」、「金なし」、「扶養者つき」の身で。失敗することは一生うだつが上がらないことを意味する。成功するしかない。今まで留学の準備に追われて気がつかなかったが、これは文字どおり「背水の陣」ではないか。必死の軍は強い。古来名将はこの境地に身をおくためにあらゆる策を講じてきた。大河を背にして陣を敷き、今まで乗ってきた軍船を焼き、これまで飯を炊いてきた釜を壊して戦いに臨んだのである。

 

いざ、イギリス大学院留学へ出発!

一九七八年三月三日に成田空港から、約五十キロもの荷物を身にまとい、イギリスへ向けて出発した。マンチェスターでは実際苦労した。英文なんて大したことないと舐めていたため手痛い目にあった。日本で英語を勉強してきたとはいえ、thesis(論文)の意味が分からずに指導教授に What is a thesis? と尋ねたり、Lavoratory (実験室)とLavatory(トイレ)を間違え失笑を買った。また博士論文の口頭試問で解答がわからないので、英語の質問がわからないふりをしたら、今度は丁寧に英語の意味を説明され、徹底的に追い詰められた。苦心惨憺しながらもどうにか卒業した後、ニュージーランドのカンタベリー大学の工学部に職が決まった。家人は言った。「良かったね。これから生活は安定するのね。」と。私は言った。「いや、これからも背水の陣は敷くよ。」と。

 

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留学のリスク<留学に成功する人と失敗する人>(第二章③)

 

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